「教える」のは難しい技術である

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教えるという技術、普通は習うことのないことです。

教師とかはそういう職業なんだろうけど、金貰って成り立ってる以上は限界っつうもんあるし教育指導案書かせてそこから何学べっつう話だよってこともあるのでそう簡単に身につく技術じゃないです。それでも時間は進むので上が下に啓蒙するっていうことは必ず起きるので色々問題ありますよねって話でもあります。

教えるってことになると、山本五十六の話はまぁネットじゃ有名なんですが、そうそう同じことをできる人なんてまぁ居ないでしょう。実際それは仕方のないことです。何故ならそういった人を育てる教育を受けた人なんて稀有なわけですし。

結局人に教える時に自分たちにあるビジョン、視点というものは自分にしかないもので、それをそのままそっくり他人に教えてその通りに動かすのは不可能レベルです。

みな違った思考をもった生き物なんだし違った理解、やり方を考えつくわけですから必ずしも自分が学んだ方法が絶対ではないです。

こういった認知の仕方や速度というのは人それぞれであり、それを経験値の有無抜きでダメだとか語る輩がいるけどなんなんすかねって話です。

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僕は大学の時にバイトで職業訓練校でおじさんおばさんにPCの使い方、Officeの使い方をアシスタントで教えていたりした

相手はPCについて何も使うべきではない言葉なので修正してください方もいるわけでそういった人たちをどのように理解へと繋げるか、という点で色々と勉強させてもらった気はします。

ですが、僕の感覚からすれば、同等の理解を得られた人はまず居なかったと思います(短期集中だったのもあるけど)。

それは別に残念なことではなく、それこそ上記にある認知の早さの違いですので得意・不得意みたいな話になります。

だから物事を教える際に、ある程度の本質というものはあると思います。

その本質がブレない限りは理解や習得のレベル差やスピードは違っていて当然なのだし、そこはそういうものだと割り切らないといつまで経っても教える側と教わる側の溝は埋まらないと思います。

むしろ僕はそういった認識の違いこそ人間の面白い部分だと思うのでそういった感覚や感性は大事にしてほしいと思ってます。

ですがそれによってもたらされる不条理な扱いやら言説による圧力は勘弁しろということはお忘れなく。

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なんやかんやありましたが、結局教えるってことは難しいわけですが、そんなに躍起になる必要はないんじゃないかと思います。

着実に、確実に、段階を踏んで最終的な目標に達することで「教えること」を完結すりゃいい話ですし。そこに努力だの個人の見解などが入ることで面倒な話になるわけです。

というか「教えること」が最終的な着地点ではないですし。

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