「現代アート」という用語の汎用が生み出した功罪として、我々の中で「現代アートとは何なのか」という定義を未だに見出せず、疑問の壁にぶつからざるを得ない現状を生み出したことが挙げられる。
「現代アート」にとってハイコンテクストな部分がファクターである事がおおよそのものとして認識されてきて、アーティスト達はその一つの武器をもってして美術のシーンを開拓してきたが、その一方でそういったファクターがどれだけ重要なのかということを知らぬ者との間に大きな溝を作り出してしまっているように思える。
しかしながら、ファクターを知らない者たちも現代アートに対する興味関心というものを無意識的に切り離してしまっているようにも見える。
果たして社会で生きる(芸術家を除く)ものたちが、一体どれだけ美術に対して考えることがあっただろうか。自由自在な形態やイメージに対して。数多の現代美術家がこの世界に居ることを。その芸術家たちが数え切れぬほどの作品を生み出してきたことを。
そして、そうして生まれてきた「現代アート」とは我々にとって一体何ものなのかということを。
だからこそ私は今一度、私たちの思うところの「美術」とは「芸術」とは何なのかということを再認識してもらい「現代アート」について知見してもらいたいのである。それは定義が曖昧であり、明確な言及ができるものでないが故である。
それ以前に価値観や美術観といったものは人それぞれであり、それらは何かによって統制されるべきものではないのだ。皆がそれぞれ持っているであろう美意識に対して、自らにとって揺ぎ無いものだと思うことこそが必要なのだ。
そのために必要なこととして、今一度自分の頭の中を「再起動」してもらいたい。
インストールされたアプリケーションを正常に作動させるために、重くなった動作を改善するために、私たちがパソコンを「再起動」をさせるように、常に新しく生まれてゆく美の観点を知ったり、これまで観てきたものとの潤滑な併合をはかってゆき、その度に自らの芸術観というメディアに対して「再起動」をしていく必要がある、と。
私たちは今一度見直す必要がある。アートのあり方とは、私たちにとってのアートとは何なのかを。
そしてその時、あなたにとってそこから見えてくるものは、何なのでしょうか。